沖縄生活の記録帳

仕事の都合で東京から沖縄にやってきた会社員の日常です。

喫煙という習慣

喫煙という習慣がなかなか手離せない。百害あって一利なしというのは全くの事実なんだが。分かってはいるんだが。いや、分かってないのか。

 

今も人生で何度目かの禁煙に取り組んでいるが、禁煙2ヶ月目にしてたまに吸いたくなるときがある。あるある。

 

人によって体質が異なるから千差万別なんじゃないかと思うけど、自分の場合は禁煙から3日目がニコチンによる禁断症状のピークになる。

 

禁断症状と言ってもスゲー吸いたくなってついついタバコのこと思い出しちゃうって程度だけど。ここは誘惑にじっと耐えてやり過ごす。

 

3日過ぎるとニコチンの禁断症状は治まるので、あとは日常のひとコマにおける習慣の誘惑だけが残る。

 

仕事の合間に、食事の直後に、暇つぶしに、酒飲みながら、音楽聴きながら、コーヒー飲みながら、待ち合わせの時に、みたいな感じで、行為と喫煙がリンクしていた頃のルーティンとして、喫煙習慣を思い出しては吸いたくなって我慢してを繰り返す。

 

とは言えこれも3週間で治まる。「食事の後は一服!」という習慣も徐々に忘れてゆく。いつしか自分の日常において「タバコを吸う」という習慣があったことすら忘れてしまう。

 

でも映画の喫煙シーンとか、何かのキッカケでたまに思い出す。だいたい1ヶ月くらい禁煙した頃に「うん。やっぱりいつでもやめられることが分かった」と言い残してまた喫煙習慣を再開してしまう。いつものパターンだ。

 

3日ぶりだろうと1ヶ月ぶりだろうと同様だが、久しぶりに吸うタバコはマズイ。苦い。臭い。煙い。

 

どれだけ吸っても美味いと思うことは無いが、一箱くらい吸い続けると「あんまりマズくない」という状態になる。マズさに麻痺するだけだし、常習しているときもこの感覚は変わらない。

 

一箱吸い終わる頃にはニコチンの習慣性が再開しており、「一定時間が経過して血中ニコチン濃度が低下すると脳がニコチンを欲しがる」というパブロフドッグな依存状態が完成している。

 

禁煙期間中に何故か求めてしまうのは、このタバコと自分との依存関係である。せっかく依存関係を解消したのに、また依存状態に陥ることを希求してしまうのである。

 

「タバコに依存していた頃のあの感覚ってどんなだっけなぁ?」思い出す必要なんて無いのにね。

 

何かに中毒していたい。欲求に支配されていたい。本来存在しないはずの欲求(タバコが吸いたい)を無理に作り出すことで、渇望とそれを満たすという儀式を楽しみたい。そんな倒錯した行為なんだ。

 

だから、1ヶ月くらい禁煙して、「やめようと思えばいつでもやめられる」という事実が確認出来ると、またいつかやめることにしてタバコとの依存関係を再開してしまうのだ。

 

これは、視力のいい人がメガネに憧れるとか、主人公が必ず弱点を持っていたり、という精神構造と似ている。本当は視力がいい方が良いに決まってる。本当は弱点が無い方が強いに決まってる。

 

まっすぐでフラットな状態に、何らかの違和感を導入して引っ掛かりの感覚を楽しんでいる。これはジャズで言うところのSwingだ。

 

テレビゲームをやる感覚とも似ている。日常に全く必要のない困難を生み出して、それを克服(クリア)することに喜びを見出す構造。

 

色んな形のブロックが上から猛スピードで落ちてくるのを、積み上がってしまわないように、回転させて、移動させて、穴に入れて、列を消して、どんどん落下速度が上がって、エンドレスにブロックを揃えて消していく作業。なんの苦行?

 

多分健康な自分に慣れないんだろう。不健康な方が自分らしいなんて思ってるんだろう。